人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< 真夜中眼鏡店 夢の入り口 >>
見えないもの
はじめに言葉ありき。

世の中にはそんな考えの宗教もありますな。


言葉はシンプルで美しく、人へ何かを伝えやすく、

身近な具象表現として不滅のジャンルである。


小説家など文章を身にまとう人の才能が

怖いほどに人を魅了する。


僕は詩人の言葉があたかも感情を朝めし前に

心地よく簡単そうな雰囲気で並べた文章の感じに

メロメロに参ったもんだ。  (もちろん実際苦労があるのでしょうね。。。)


現代工藝の中で陶という素材は粘性と可塑性があり

正体がつかみにくく、あいまいもこだけに抽象表現なのだろう。


だから僕らは夢見る寝床を心地よく

陶芸というあいまいな逃げ道を枕にしまったのかな。

それを親しみやすいとも言うのだろうが。。。。



さて、言葉は目に見える文字と耳に聴こえる音(言霊)からなりたっている。

現象としての見えるものと見えないもの。

どちら側からだけの判断をして真の意味を識る。


結論では真意の見えないもの肝心で大切なのだろう。



話は飛びますが僕は少年の頃から目に見えない

幽霊やオバケ、UFOというものを信じて

怖がっていたり、興味があったりしましたね。


見えないから見てみたいって、怪奇少年だね。


そのくせ僕は気弱な泣き虫であり、ヘンテコな好奇心を見て

親父はそんなものが世の中にいる訳はないと

馬鹿にしては信じずに頭ごなしに、たしなめていた。


今もそれらの怪奇現象を僕は見ることはないのだが


なんと親父は出張先の宿で枕元に座る老婆の幽霊を

見ては一夜の間ガタガタと恐れ怯え、

仕事中に仲間と共に大勢という否定できない状況で

UFOを見ることとなった。


それ以後、親父は一切のそういうことに

信じる信じないも言わないようになり

言葉を失ってしまった。


見える見えないが逆転しパニックで思考が混乱したのだろうね。


そのものの真意までは見えたかは

親父には聞いてないので定かではないが。。。



芸術とは目に見えないものを信じること。

いや、信じきることだろう。


もちろん僕と違った芸術家の天才たちは

信じる信じないなどの価値観はないのかも。


美の正体は案外と身の回りに小石のように

落ちていたりして、つまずいたりするのだろう。


生活の中で親父が住む次元が突然前触れもなく

歪んで受け入れなくては、ならなくなったようにね。


見えないものはそのくらいに恐ろしく魅力的なのだ。

だから怪奇少年は芸術という創造の虜になったのかな。   出町光識


追伸 Blogは言葉を通して見えないアナタとの未知との遭遇。(古いな~。)

応援のクリック。

にほんブログ村 美術ブログへ

人気blogランキングへ
by super-bird | 2007-08-31 13:40 | 美術to工藝
<< 真夜中眼鏡店 夢の入り口 >>