平間磨理夫氏による企画 『花陶実験室』。
(花陶実験室準備。 床屋さんと華道家さん。。。 鋏の達人なり。) 関わりをした者として真剣に取り組んだ平間さんだからこそ ここに『花陶実験室2007』の総括をしたいと思います。 (BARBER大野さん意外に 裏路地などにも配置したオブジェ。) あまり、作り手としては作品説明はしたくないのですが 今回は平間さんによる初の試みと言うことで 祝文として読んでいただきたい。 当初企画に声を掛けていただいた時に 花陶、下等、と言えど実験するなら化学変化を起こす テーマ(お題)が無くてはこの企画は乗り切ることが出来ないと 平間さんに伝え、セッションすることのテーマ(お題)をお願いしました。 数日間掛かった後に、以下の文面が送られてきました。 ―水とは如何に必要か― 今回のテーマは「水とは如何に必要か」です。器になぜ水を入れるのか?勿論、空間に室礼われた花は、ある一定の時間生きなければなりません。しかし今回は、その側面からではなく、水分を十分にたたえた存在である花・瞬間を切り取られることで存在する花に焦点を絞り、問題を提起できればと思います。 10世紀末には枕草子において、「匂欄のもとにあおき大きなる瓶をすゑて、桜のいみじうおもしろき五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、匂欄の外まで咲きこぼれたる」(23段)という表記がありますが、さてこの瓶には何が入っていたのでしょうか。同じ時代には、前栽合わせ※1(この後も島台※2へと変化していきます)という、上記と同じく室内から鑑賞するもので、砂で留めていた事実が残るいけばなの源流が垣間見られます。時代が進み16世紀になっても、前田利家邸での立花において「池坊一代の出来物」と賞賛された花は、「砂の物」※3といって、水を張ることのない花がいけられていたという事実が続きます。水であれ砂であれ、植物を留めるためだけに存在していたとすれば、元から水をたたえた植物には何も必要がないのかもしれません。このように水を張ることなく花がいけられていた事実を拾うだけでも、花をいける際、当然のようにしていた水を張るという行為を否定したくなるのは、私だけではないはずです。 平間 磨理夫 ※1・・潅木と草花を植えた植え込みで、坪庭的なもの ※2・・下に台をつけ、中に白砂を引いて季節の植物を植え込んだもの ※3・・大きな盆に砂を張り、その上に花を立てたもの 水をテーマにしたいと言うことに 僕なりに作品制作する糸口を見つけ3パターンのセッションする作品を ギリギリまで予定しました。 花陶実験室とは異種格闘技でガチンコ殴り合いの場でもあるので 何を出すかはそれまでのクリエーター自身の独りの時間が 大きく左右しますし、相手の状況判断をしてぶつかり合わなくてはなりません。 これが花陶実験室のセッションなのです。 僕は以下の物を思案し制作しようと準備に入りました。 パターン①は焼き抜いた土の魅力を前面に出し、 土本来の素材感を花と対峙するにようにガチガチな土塊の瓦礫積み上げたもの。 これは自分が水をテーマにした『龍走』の一部から構成する。 パターン②はストレート直球勝負の『織部大壺』。 水が並々と入るほどの口の広い甕のようなもの。陶芸家?らしく。 パターン③は今回実際に選択した『祈りのかたち』。 この作品は一等初めは花を活けるのが原点に考えたフォルムなため。 いつも展覧会前日まで迷い、何を出すかは決めず思考しているので 今回もパターン③の大物作品を選んで2日間焼成を終えて 搬入前日の夜中に会場BARBER大野に仕込みました。 いつもギリギリなのは優柔不断な男所以でしょうか。 (pm15:00過ぎの花陶実験室内) 焼成を終えた『祈りのかたち』を搬入持参しましたが そこにいた平間さんは生け花の企画展当日準備として 会場を提供者である 大野さん家族の好きな花(菊など)を煮込んでいました。 香りという花の魅力を使いたかったのでしょうが 僕の持参した作品で予定を変更して、直前の早朝に花市場に出向き、 花材を紅葉した満天星躑躅(どうだんつつじ)にしました。 変更は良かったのか、悪かったかは客観視する皆さんの判断でしょうし 分かれるところかも知れませんが、 僕としては平間さんの煮込んだ花は頭の片隅に出てくると理解したうえで 作品(祈りのかたち)選択でもありますし、 花陶実験室初回はやはり若々しく花を活けて欲しかったので 納得できる潔い花と思っています。 さて、何故『祈りのかたち』を選んだかと言えば 『祈る』とは何かに対峙し、誰かのために合掌し自己に至ること。 今回は平間さんの新たな旅立ちに合掌のエールを送りたいですし、 初めて彼がアトリエを訪れた頃に制作始めたシリーズでもあるので お互いの印象もあり決めた次第です。 それにユーモアで言えば、これまでの過去であるお稽古華という 価値観に死の合掌したかったのですから。 『祈りのかたち』とは僕の中ではひとつのタイトルであり もうひとつ副題に、『泉~反復するデュシャンを越えて~』 つまりは水であり、今回のテーマにそぐい、 平間さんと共に目指している日本文化による見立て遊びのそれゆえです。 便器とは正にこれ、下半身、下等な陶器でございます。 (今まで見る人によくよく便器と言われ続けましたが、それが正しい見方なのですよ。 世界で一番有名な陶器作品は『泉』なので、オマージュなのです。) (店内の鏡だけでなく水面にも映り 世界は拡大していきます。) 平間さんの用意した島台なる中に水を入れ、 そこに水面ギリギリに浮いた如く『祈りのかたち』を設置しました。 床屋さんにある鏡の数々と同様に、水をはることで虚実結界が張られ 常世や、あの世、ニライカナイを眺めるものに変り、 つまりは死が匂いだすと考えました。 祈りは過去の生け花や華道の埋葬となり、決別の祝福を獲るのです。 その埋葬に『祈りのかたち』は軟陶(1060℃)で焼成したことで 植物なみに島台の水を吸い上げ水面に微妙ながら動きを与えます。 ベンガラ(酸化鉄)で塗られた表面から赤い色彩が水に滲み深く沈殿していき、 水面の横軸と、オブジェが水を吸い上げる縦軸、ベンガラの沈殿する縦軸になります。 ベンガラは太古から遺跡などで権力者の埋葬時に 室内や遺体に塗られたもっとも好まれた鉱物です。 予断ですが人間は70%が水分ですし、ベンガラの含有率70%が鉄なのは同じですね。 そして赤い色彩は血を連想させることは言うまでもありません。 これは予期せぬことでしたが埋葬の儀に 偶然ですが季節が秋であったことは演出としては良かったかも知れません。 赤く色づく死の季節は、テーマにシンクロして満天星躑躅(どうだんつつじ)を呼び 自らの朽ちて次のものに継ぐという生き物の輪廻転生をかたちに出来たように思います。 勿論、その磁場を感じながら舞踏の南阿豆さんは赤い衣装を身にまとい 生贄の処女なる巫女か、シャーマンとして結界を崩壊させながら 死の世界に誘なってくれました。 (冷たい水の入った島台に浸かり 赤いベンガラ水を飲む 南阿豆さん。) 舞踏 南阿豆さんと奏者 南部テールは状況の地場と磁場を感じ取り 現場下見やその参加者の言葉を身体に入れながら 思いや儀式を浄化させくれました。 (生きているものは怖いです。) 花陶実験室の裏読み『下等』に相応しい『芸能』の原風景に近いことは 目撃者の誰の眼にも明らかでしょう。 ふたりの表情は日常とは違い、河原から川を渡った シャーマンの恍惚と不安の顔でまるでお告げを振りまきながら 死と性を生き抜いた残酷なマレビトに見えました。 今宵も寒空の下、ふたりに皆さん酔いしれましたね。 (そして美しいです。) そして何より今回の花陶実験室の1番のキーポイントになったのが照明です。 ギャラリーや舞台などの照明が整った施設ではなく 空き家という会場のため、新田さんなくしてこの花の座は 成功しなかったでしょう。はっきり言ってしまえば 見るに値しない場所(花陶実験室)になったに違いありません。 光と闇はそのぐらいに大切なものです。 照明とは照らし明るして物の実像を虚像として よりリアルに魅せていくものです。 僕たちは自分自身が発光体の光であること忘れがちですが 物は光が反射し輝いてこそ眼がそれを認識するのです。 例えば太陽。そして月のように。 (舞踏後の残骸と蝋燭の火。 残酷に生きる阿豆さんの魂の灯り、 祈りかも知れません。) 光とは脇役ではなくすべての始まりです。 今回開場の時間がam10:00~pm10:00のOPENということで 室外と室内の光が交じり合ったり、逆転するということが起きてきます。 (僕としては最も美しい時間帯はpm15:00ぐらいだったと思います) それを従えて、ひとつの筋を通して照明基本を 信頼のおける新田さんにプランをしてもらいました。 内容は床屋さんということでトリコロールの赤、青の光を軸にしたのが これは動脈と静脈であり、ベンガラ同様に血液が連想されます。 ここで今回テーマの『水』が『血』であることが最浄化したように思われます。 これは僕なりの極私論ですが 床屋さんでの鋏つながりの華道家 平間磨理夫氏。 そしてテーマ『水』は。。。。 花にとっての水は何かとは『血』であり、平間さんにとっての血は『華道(小原流)』です。 つまりは平間さんが花鋏で切った真の意味での『花』は 単に紅葉した満天星躑躅(どうだんつつじ)のことではなく、 『小原流』という華道の『茎』なのでしょう。 厳しいようですが平間さんには、そこに気高く品を持ってもっと自己を沈めて欲しい。 立場上で難しいことも多いかと思いますが、これからも見守り続けたいと思います。 そして平間さん再度言いますが、『花陶実験室主宰』というのもどうなのでしょうか。 若さゆえの焦りとしてとは思いますが、皆さんが少しづつ自己犠牲をはらって 参加したのですから、主宰はいささか勇み足かと思いますよ。 これもいくらか華道やお稽古の匂いを感じてしまいますね。 それは平間さんがあまり好まない家元制度に似てはいないでしょうか。 僕はやはり代表か、企画が良いかと思いますね。 平間さんのBlogの中にも反省の弁がつづられていますが、 http://blog.livedoor.jp/mario_plus/archives/51120989.html 逆言えば反省のすべてが可能性ですから、縁ある限り共に思惟いたしましょう。 花陶実験室の初回はビギナーズラックもあり、成功だったと思います。 しかし以後、2、3度と回を重ねた時にこれほど満足がいくかは 判りませんので気を締めてそれぞれ担い手が 美の正体に迫るものとしなければなりません。 実際納得できない物や事が無くなることはないとしても 出来る限りそれに近づけるよう、無限 ∞ 時空を越えていきましょう。 出町光識 (この蝋燭を活けたのは 平間さん良かったね。 感激しましたよ。) 追伸 お寒い中に関係者の皆さん、見に来ていただいた方々すべての御縁に感謝。 応援のクリックをいただければ。。。 人気blogランキングへ 追記 血も枯れて ドウダンツツジ 地に降りる 11月29日
by super-bird
| 2007-11-27 08:56
| 美術to工藝
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