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ポケットの丸石
春風に吹かれて、遊ぶ意識は遠い過去へといざないます。

消去昨日。いや消去機能があるのが人間。

死んだ記憶というのもあるのでしょう。

殺した記憶もあるのでしょうか。

ツマラヌ、役に立たぬことでも、生き続ける記憶もあります。

重要性や論理性よりも、喜怒哀楽の大きさから、生き延びるのでしょうかね。


そんなひとつから。


埼玉県にある川口幼稚園に泣きミツくんは、幼稚園バスで通っていたの頃の話。

園庭の運動場では、園児みんなで地面をかるく掘り起こしたりて、

丸石拾いをしました。


その形はパチンコ玉のような大きさで、本当に丸いものでした。

どう見ても幼心には人工的なものであり、天然でないような気がして、

なんでこんな石があるのだろうと、好奇心という気持ちは

そんな丸石拾いへと、みんな気持ちを集めていきます。


上手に見つける友達はいくつもいくつも見つけるのですが、

気が焦ってしまうのか、泣きミツくんには、なかなか見つけることができません。

悔しさと情けなさが何日もたってからでしょうか、

ようやくどうにかひとつ、不恰好ながらの丸石を見つけます。

うれしくて、たくさん見つける友達に自慢するかのように見せたのを憶えています。

お母さんにも得意げに見せ、大切にポケットに入れておいたのに。。。。



今は、やっと手に入れた喜びの丸石も、

もう何処かに行ってしまい、なくしてしまった。

でも記憶だけは心のポケットに残っていますね。


丸石の正体は何であるは今もわかりませんが、

川で転がった石?

それとも火縄銃の弾丸かな?

どちらにしても園庭には丸石がたくさんあって、

園児達のウキウキワクワクな心をかきたてていましたね。


丸い石、丸い意思、コロコロコロガル心のように、

ココロがコロコロ笑い出す、かな。


このような社会生活には、役に立たない記憶だけを、おそらく死ぬまで

心のポケット持っていくのでしょうかね。


それとも泣きミツくんの頃にはポケットには

次から次へとそのようなものがやってきたのに、

今のポケットには、なかなかそのような喜怒哀楽がやってこないから

大切にしている記憶なのでしょうか。


死なない記憶もありますが、死んでる気持ちもあるのかな。


死んでる気持ちがあるのなら、生きてはいても動く死体。


自分のなかに、ちょっぴり死体に遺志をもちながら、石拾いかな?


丸い石と、丸い意思と、丸い意志を、コロコロ転がしながら

まあるい心を春風に乗せて飛ばしましょう。   出町光識


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by super-bird | 2008-02-26 05:17 | 気になるおしゃべり
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