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シロツメ草
真壁城跡はシロツメ草でいっぱいだ。

特に6世紀前に能舞台があった場所は、

まるで今も宴があるように咲き乱れている。


しばし心を和ませてくれた、甘く芳しい花の香りも、

季節の天命に咲き終わろうとしている。

ある日、こくぶん祭をともにする仲間から、こんなメールが着た。


『城跡はシロツメ草の香りでいっぱいでした。』。。。。。


ガチガチに成りがちなぼくの心を、包み込む優しい言葉だった。

人に傷つき、それでも人に癒される。人の行為とはこれ万能薬である。


15世紀まで栄えていた城。

21世紀の現在に能舞台を、土舞台として蘇らせる。

27世紀へと記憶を托し、伝える。

近視眼的ならない時間軸は、聖なるものの見方を与えてくれる。


それでも妄想してしまう。

その時代も、(もしくは来年も) シロツメ草は甘く香りを放っているのだろうか?


ぼくらは結果に生きることは、命のかぎりに、それほどの意味はなさない。

プロセスがもっとも大切なことで、一期一会に遊ぶだけである。


明日という日を手に入れ、今日という日になったとしても、

また明日が現われることで、手に入れられず、永遠に明日は明日に輪廻する。


またはそれを、希望。可能性という呼び方もする。


そのことに気がつけば、明日も昨日も、そして未来も過去も、

どれほどの意味もないことに気がつく。


今、何を成すかそれしか、時間や心の感覚は、自らの命のなかでは存在しない。


それでもシロツメ草はいつの頃から、ここで咲いていたのだろう?

またはシロツメ草はこれから先もまた、いつまでも咲きつづけるのだろう?

と妄想させてしまう。 これも甘い香りゆえでしょうか。


ミツバチは羽音を囁かせながら、その蜜をただ味わっていた。

何も迷うことなどはないのだろう。

今という時間にしか存在しない悟りを説いた聖者のように。


今年11月のこくぶん祭、『アースワーク土舞台・人形浄瑠璃2008』の公演まで城跡に立ち、

全身で風を感じながら、足元の大地からエネルギーをいただき、

今やることを成すだけ。 誰も城跡に立ち筑波山を眺めれば元気になれる。


困難や雑音は他人の生きている時間の流れと

時計の針や振り子の振動にしか過ぎないはずだ。


もうひとつ、このような言葉を掛けてくれる人もいた。

シロツメ草を見ながら。。。

『出町、シロツメ草はまさに、城(シロ)で腹摘め(切腹・ツメ)だな~。』

芳しいことないが、このシロツメ草の言葉も、

ぼくには美味であることはたしかである。   出町光識


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by super-bird | 2008-05-25 07:03 | 気になるおしゃべり
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